先週1週間のことを、別にブログに書くような事じゃないんだけど、自分にとっては大きかったので、まとめの意味で、まとまるかはわからんけど書いておきます。長く、しかも重くなるかもしれないので、読みたくない方はスルーで。
先週の日曜日のこと。夕方4時くらいだったか、従兄弟が亡くなったと親から電話があった。突然のことであった。何人かいるオレの従兄弟の中で唯一、同い年なのがあいつだった。白血病だったと告げられた。急いで実家に帰ることにし、荷物をまとめ、長野をあとにした。5時間のドライヴ。
なぜだろうか。最初に浮かんだのは悲しいとか、哀れだとか、かわいそうとか、そういう感情じゃなかった。そう、それは「おまえの人生は納得のいくものだったか?」という問いであった。やりたいことをやれたか、精一杯生きられたか・・・。また、その問いは、自分自身に投げかけられた問いのようでもあった。そして、それはある種のいらだちのような感覚をはらんでいるのであった。
それと同時に、前日に議論した「虚構と現実」の続きを、いまだ、考えているようでもあった。自分は今虚構の中にいるのか、それとも現実の中にいるのか。生きることが現実なら、死ぬこともまた現実であるはずである。そして「死」というリアリティのない言葉を、頭の中で反芻させながら、少しずつ、状況を整理させていく。すると、体の血の気が引いていくのだった。
のどの奥が熱くなり、暗闇の向こうへ冷たい風景が流れていく。
春に東京で就職した、あいつの生活が一体どんなものだったか。はっきり言って、想像がつかない。たまに会う機会である、お盆や、正月だって、あいつは大概顔を見せることなんかなかったから、オレのイメージはもう数年前のイメージでしかなかった。最後に会ったのはいつだっただろうか。もはや、正確なイメージなんて存在しなかったかもしれない。
そして、頭の中が白くなっていく。
あいつが横たわっていた。随分やせたな。軽いめまいを覚えていた。ありえないのだが、なんだかまだ動いてるように見えた。同い年だったからか、従兄弟といえども、こいつには近い部分を感じていたんだと思う。オレには兄弟がいないから、小さい頃はいい遊び相手でもあった。そんな一人の人間が、この世を後にしたということを、このとき実感した。
一日おいてお通夜、その次の日に告別式と執り行われた。あいつの大学やら高校やらの友達がたくさん来てくれた。家族も友達も泣き崩れていた。オレはそこにいることしかできなくて、のどの奥に感情を追いやって、ただ、その様子を見ていた。あいつは友達に恵まれていたようだ。その点においては、きっとあいつも満足だろう。彼らはオレよりもずっと近い存在に違いない。オレの知らない部分をずっと知っているだろう。オレにどれだけそんな友達がいるかわからないけど、そんな友達を大切にしようと考えていた。
「納得のいく人生」とは一体何なのか。オレだって明日突然死ぬかもしれない。自分のやりたいことをやって、いつかそのときが来れば、それは幸せかもしれない。最初はオレもそう考えた。だが一方で、この1週間、いろいろな人と会って、それがすべてではないのかもしれないという考えを大きくしている自分がいる。例えば、街の喧噪から離れ、毎日を健やかに生きること。そして、親よりも長生きすること。これだって重要なことである。人が夢と現実の、その狭間をたゆたう旅人であるならば、この命題が解けることは永遠にないのかもしれない。しかし、夢を実現してきた多くの人は、間違いなく夢の大きさだけ大きな代償を払っているのだ。
それぞれが、それぞれの価値観を抱き、未来を描きながら、その終わりの日まで生きていく。今岐路に立つオレがどんな道を選んでいくのか、まだ自分でも見当がつかない。ただ、今回のことが、自分のことを考えるきっかけになったのは紛れもない事実である。考えながら、悩みながら、人は歩いていくしかないのである。
Sunday, December 03, 2006
Subscribe to:
Post Comments (Atom)
No comments:
Post a Comment